論理学の演繹・帰納に続く3つ目の手法、アブダクション、いわゆる仮説の話。演繹・帰納とは違いアブダクションは最も「拡張的」な推論である。
ざっくりいうと演繹はソクラテスの三段論法。帰納は今までに見てきた犬(数は有限)はみんな吠えてたから「すべて犬は吠える」と一般命題として推論するようなもの。アブダクションはニュートンの引力のように「いつもまっすぐに落ちるりんご」から「引力」を発見するようなこと。
アブダクションは説明仮説を形成する方法であり、これこそ、新しい諸概念を導入する唯一の論理的操作である………….それ(帰納)はなんら新しい観念を生み出すことはできない。同様に演繹にもできない。
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規範科学としての論理学
心理学はわれわれは実際にどのように思考するのかという事実の問題を取り扱いますが、しかし論理学はわれわれはいかに思考すべきかという規範の問題にかかわります
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倫理学の一種としての論理学
倫理学では、行為というのは倫理的な規範や理念の意識のもとに、みずからの意志によって自覚的に自己統制的に行われる行動のことをいいますが、同様に、論理的行為である思推または推論も「規範や理念によって熟慮的に意識的に統制された、そういう種類の思考」を意味しており、それは倫理的行為の一種であるということができます。すなわち、「論理的思推は自己統制のもとに行われる思考であり」、そして「論理的自己統制のあらゆる働きは……実際の倫理的自己統制の働きである」
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アブダクションは結果から原因を推論する。「飛躍」を伴う想像的な推論という性質がある。
驚くべき事実Cがある、
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しかしHならば、Cである、
よって、Hである。
「帰納の本質はある一群の事実から同種の他の一群の事実を推論するということにあるが、これに対し、仮説はある一つの種類の事実から別の種類の事実を推論する」、そして「仮説的推論は非常にしばしば直接観察のできない事実を推論する」ということです
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後半の方の章はなんとなく同じようなことが述べられてるような気がしたのでパラパラをめくって読了してしまった。演繹・帰納・アブダクションの違いに関しては前半で十分に分かるのでその点ではおすすめ。